盛岡城跡公園 (旧名称は岩手公園) 芝生広場の一角に、宮沢賢治「岩手公園」の詩碑があります。
岩手公園
「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲もなし
なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生のタピングは
口笛軽く吹きにけり
老いたるミセスタッピング
「去年 (こぞ) なが姉はこゝにして
中学生の一組に
花のことばを教へしか」
弧光燈 (アークライト) にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
賢治
解釈は少々難しいですが、タピング (以降はタッピングと表記) というアメリカ人一家のことが詠まれています。
最初に登場する「老いしタピング」とは、ヘンリー・タッピングという宣教師 (キリスト教を広めるために派遣された伝道師) です。
盛岡市内の教会で宣教師をする傍ら、賢治が通った旧制盛岡中学 (盛岡一高の前身) で英語を教えていました。当時の盛岡中学は岩手公園の近く(中央通り、現在の岩手銀行本店の場所) にありました。
タッピング一家の教会に賢治も通っていたのだとか。
「大学生のタピング」とはヘンリーの長男、「ミセスタッピング」とは夫人、「なが姉」とは長女のこと。長女も盛岡中学の英語教師でした。
後半に登場する「川」は中津川 (なかつがわ) 、「銀行」は現在の岩手銀行赤レンガ館です。
ちなみにタッピング一家の教会とは・・・
中央通り (NTT東日本岩手支店の裏あたり) にある、現在の「内丸 (うちまる) 教会」です。官公庁やオフィスビル、マンションが集まる地区にひっそりとあります。
明治13年創立で、タッピング一家は明治40年に赴任しています。
教会の隣には、ミセスタッピングが創立し初代園長を務めた「盛岡幼稚園」があります。明治40年創立、岩手県内で一番歴史がある幼稚園です。