ブラモリオカ

岩手県盛岡市をブラブラしています

材木町~ビルの隙間の理想郷 (イーハトーブ)

材木町 (ざいもくちょう) という商店街です。

藩政時代は主に材木商の町で、上方系 (京都・大阪など) の大店も多く、あらゆる業種の商人が軒を連ねたといいます。

北上川の左岸にあり、対岸にある木伏 (きっぷし) という場所から川を使って材木を輸送していたのだとか。

また近くには、秋田・鹿角街道口の番所 (夕顔瀬惣門) が置かれていました。材木町は2つの街道の入口として栄えたそうです。

材木町ゆかりの人物には、童話作家宮沢賢治がいます。

花巻生まれの賢治ですが、13歳から22歳までを盛岡で過ごしています。材木町を訪れ、書籍やレコードなどを購入していたそうです。

買い物のツケを、花巻の父親に回していたなんて話も・・・

レコードを購入していた村定楽器店は現在も営業中です。

メインストリート (いーはとーぶアベニューと呼ばれる通り) は、賢治童話の世界観をイメージしたデザインになっています。

ちなみにイーハトーブとは賢治が考える「理想郷」で、モチーフは岩手県なのだとか。

いーはとーぶアベニューには、光原社 (こうげんしゃ) という工芸品などを扱うお店があります。

かつては出版社でした。現在とは違う場所 (厨川の館坂) にあり、主に農業関係の教科書を出版していました。

当時の店主は、賢治が通った盛岡高等農林学校 (岩手大学農学部の前身) の1年後輩でした。光原社の命名は賢治によるものです。

童話集『注文の多い料理店』はこちらで出版されています。今ではかなり有名な作品ですが、当時はほとんど売れなかったとか。

賢治の生前に出版された、唯一の童話集でもあります。

37歳という若さで亡くなった賢治。童話から詩集まで有名な作品が多くありますが、生前はあまり評価されていませんでした。

没後に多くの原稿が発見されています。草野心平らの尽力でそれらが出版され、広く知られるようになります。

そんな光原社の裏へ。

直筆原稿や『注文の多い料理店』の初版本などを展示した記念室「マヂエル館」、喫茶店の「可否館 (こーひーかん)」などがあります。

秋は赤×黄色のモミジが美しいスポットです。

ここに来ると、イーハトーブに迷い込んだような気分になります。

お店のサイト ↓↓

morioka-kogensya.sakura.ne.jp