ブラモリオカ

岩手県盛岡市をブラブラしています

お盆のさんさ踊り〜先祖供養と門付け

大慈寺 (だいじじ) というお寺へ。

前回のブログで「盛岡舟っこ流し」の舟っこ (ふねっこ) が展示されていたのはこのお寺です。

cgon.hatenablog.com

四代盛岡藩主の娘・麻久子姫 (出家して光源院を名乗る) のお墓があります。

この光源院と大慈寺の和尚が行った川施餓鬼 (北上川で亡くなった人達の供養) が、舟っこ流しのルーツと伝わります。

よって大慈寺は「舟っこ流し発祥のお寺」といわれています。

そして、こちらのお寺には・・・

第19代内閣総理大臣で平民宰相とも呼ばれた原敬 (はら・たかし) のお墓もあります。

このお寺の境内で、毎年8月14日の夕刻に行われるのが・・・

黒川さんさ踊りの門付けです。

夏祭りパレードでおなじみの「さんさ踊り」ですが、本来はお盆の時期に先祖供養として踊られるものでした。

神社やお寺の境内で踊られ、地域の家々をまわり、その後は市街地に移動して門付け (披露して金品をもらう) が行われていたそうです。

時代とともに廃れてしまった風習が、平成中期にイベントとして復活しました。

演舞を披露しているのは黒川さんさ踊り (黒川参差踊連中) です。

発祥は平安後期に起こった前九年の役。戦勝祈願の踊りがルーツと伝わります。その後は家内安全、五穀豊穣の祈りをこめて踊り継がれてきたとか。

さんさ踊りは「三ツ石神社の悪鬼退散の祝いが発祥」とよくいわれますが、実は様々なルーツがあるようです。

大慈寺での演舞が終わったので、すぐ近くの鉈屋町 (なたやちょう) へ。

奥州街道宮古街道、遠野街道が合流し、盛岡城下南の玄関口となる重要な町でした。

今でも古い町並みが残り、保存活用されています。その多くが「町家造り」という昔ながらの店舗併住宅です。

周辺は北上川を使った舟運の起点だったり、良質な水が湧くことから酒蔵が多く建てられたり・・・とにかく画期的な場所でした。

下のブログで詳しく書いています ↓↓

cgon.hatenablog.com

今度はこちらで黒川さんさ踊りの門付けが行われます。

鉈屋町のように街道筋の入口に発展した地域では、町場と農村の交流イベントとして、門付けが特に大切にされてきました。

それが変わったのは戦後のこと。GHQによる農地解放、街の近代化や旧市街地の衰退、そして道路の車優先化などが相まって、昭和40年代以降は消滅してしまいました。

家族から聞いた話によると、昭和30年代頃、本町通り界隈には山岸さんさ踊りが来て門付けを行っていたそうです。

私の記憶がある昭和60年代 (ほぼ平成) 以降だと、まったくイメージが湧かないのですが。

鉈屋町の商店や家々では14日と15日に迎え火、16日に送り火が焚かれます。

車社会になる以前は、町内で申し合わせをして、道路のド真ん中で一斉に焚かれていたとか。現在は各家の軒下ですが、一斉に焚かれる光景は残されています。

さて、この時間も黒川さんさ踊りの門付けは続いています。

最後はもりおか町家物語館にて。(スマホカメラでの撮影は限界)

早いもので明日 (16日) は送り盆です。

鉈屋町近くの北上川原 (明治橋下) では「盛岡舟っこ流し」が開催されます。

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