ブラモリオカ

岩手県盛岡市をブラブラしています

志波城古代公園と大宮神社

大化の改新 (645年) をきっかけに、大和朝廷は日本統一を目指していました。国が地方を直接支配して、税を納めさせるなどのシステムができます。

しかし東北地方の北部には、それに従わない蝦夷 (えみし) と呼ばれる人々がいました。

それを統治するため、城柵 (じょうさく) という行政施設的なものが東北各地に置かれます。

その最北で最大級だったのが・・・

志波城古代公園 (国指定史跡・志波城跡)

803年 (平安時代) 、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂 (さかのうえ の たむらまろ) という人物が、この場所に志波城 (しわじょう) を築きました。

しかし、近くを流れる雫石川の氾濫による水害が多く、10年ほどで廃城になってしまいます。機能は矢巾町に跡が残る徳丹城 (とくたんじょう) へ移されました。

ここまで超簡単に説明しましたが、詳しい歴史は下のサイトで ↓↓

www.city.morioka.iwate.jp

そんな志波城の一部を復元整備した歴史公園になります。

外郭南門をくぐると・・・

南大路が広がっています。その横には・・・

兵士や役人が暮らす竪穴住居が、築地塀にそって1000棟以上もあったそうです。

下の写真・・・

右手前は官衙 (かんがい) 、左奥は政庁南門になります。

官衙とは役人たちが仕事をする場所になります。内部は・・・

役人が仕事をする姿が再現されています。

さて、いよいよ城柵の中心地へ。政庁南門をくぐると・・・

現在は広場になっていますが、大事な儀式などを執り行う政庁 (せいちょう) の跡地です。正殿などの建物があったそうです。

残念ながら復元の予定はないとのこと。

政庁には蝦夷が呼ばれ、宴が開かれたりもしたそうです。

この先には・・・

政庁北門と北大路があったそうですが、公園はここまでになります。

最初に「近くを流れる雫石川の氾濫による水害が多く」と書きましたが、当時は城のすぐ北側を流れていたそうです。

長らく志波城の正確な場所は特定されていませんでした。

1970年代、近くを東北自動車道が通ることになり、建設のための発掘調査が行われます。そこでこの場所が志波城跡であることが判明しました。

それまでこの場所は前九年合戦 (平安後期に東北で起きた安倍氏と源氏の戦い) の際、源氏が陣を置いた場所と考えられていたそうです。

80年代に入ってから国の史跡として指定を受け、90年代初頭から復元工事が始まります。そして1997年に歴史公園としてオープンしました。

【所在地】盛岡市上鹿妻五兵エ新田47-11

【開園時間】いつでも (明るい時間、雪がない時期がオススメ)

【入園料】無料

公園の入り口には案内所があります。

こちらでは志波城について詳しく学ぶことができます。

広場になっていた政庁跡はこんな感じだったそうです。(塀で囲われた中)

【開館時間】9時~17時

【休館日】12月29日~1月3日

【入館料】無料

詳しくは盛岡市のサイトで ↓↓

www.city.morioka.iwate.jp

坂上田村麻呂の息子という設定の「しわまろくん」というゆるキャラがいます♪

www.city.morioka.iwate.jp

所変わりまして・・・

大宮神社

古代公園から (東に) 徒歩5分ぐらいの場所に鎮座しています。

かつては志波城の鬼門鎮護の役割があったそうです。807年に創建され、岩手県内最古の神社という説もあります。

かつては現在の場所より北東 (志波城の鬼門の方角) に鎮座していたそうですが、水害の影響で現在地へ。

かつて鎮座していた場所を「元々お宮」があった「もとみや」と呼んだそうです。現在周辺の地名は「本宮」といいますが、その語源になっているそうです。

時は流れて周辺は本宮村になり、昭和の時代に盛岡市編入されています。よってこのあたりの住所は「盛岡市本宮大宮」とややこしくなっています。

旧本宮村の出身者には、第19代内閣総理大臣 (平民宰相) の原敬がいます。原家の氏神様で、よくお参りに訪れていたそうです。

【所在地】盛岡市本宮大宮51

こちらの神社、飛び出す御朱印が可愛いとか☆

詳しくは公式サイトで ↓↓

oomiyajinjya.jp